山車の思い出は子どもたちの一生の宝
高崎山車まつり実行委員長・石橋さん
いよいよ夏本番。高崎の夏を彩る高崎まつり・高崎山車まつりが8月3日(土)・4日(日)に開催される。今年高崎山車まつり実行委員長に就任した石橋輝治さんは、「高崎の子どもたちの心にお祭りの山車の思い出が残っている。皆さんと力を合わせて、高崎の山車を守り、後世に伝えていきたい」と意気込みを語る。
高崎の街中には全国屈指と言われる38台の江戸型の山車があり、各町内が大切に保存継承している。8月の高崎山車まつりには、毎年約半数ずつが交代で出場するが、来年は市制120周年などの節目にあたり、全町内の山車が参加する予定だ。
石橋さんは、九蔵町で生まれ育ち、高校を卒業して以来、定年を迎えて高崎に戻るまで、各地を転勤してきた。一家は小中学校だけで7回も転校したという。ふるさと高崎を離れて暮らす石橋さんの心には、幼い頃の九蔵町の山車の思い出が深く刻まれていたそうだ。
戦後まもない昭和23年、九蔵町では町内や商店街に浄財を募って山車を再建した。小学生だった石橋さんは出来上がったばかりの山車の見事さに目を丸くした。当時は児童が多く、高学年から山車に上がるので「自分の順番が回ってこなかった」と笑顔で振り返る。「貧しい時代に子どもたちのために町の人たちががんばってくれた。高崎に戻り、今度は自分ががんばろうと決意しました」と九蔵町の山車と山車囃子が町内の人たちによって守られてきたことに、感動と感謝の気持ちでいっぱいになり、石橋さんは町内会や山車保存会の活動に熱心に取り組んでいる。
「各町内の意見を出し合ってもらい、すばらしい活動にしていきたい。山車保存会には経験豊かな方々が大勢いらっしゃいます」と抱負を語る。
石橋 輝治さん(いしばし てるじ)=昭和13年5月生まれ。81歳。九蔵町で生まれ育ち東小、二中、高崎高校卒。防衛大学校から自衛隊等の幹部として全国に赴任。高崎山車祭り保存会副会長を経て会長に。現在は九蔵町区長、高崎市東地区区長会長のほか地域の役職も兼任し、高崎のまちづくりに貢献している。
高崎商工会議所『商工たかさき』2019年7月号
『存在のない子供たち』
カンヌ国際映画祭で審査員賞を受賞
雑誌「ハルメク」掲載記事 2019/07/10
50代以上の女性におすすめの最新映画情報を、映画ジャーナリスト・立田敦子さんが解説。昨年のカンヌ国際映画祭で審査員賞を受賞。子どもの視点で中東の現実を見つめた傑作です。
『存在のない子供たち』
ある罪で勾留された12歳の少年ゼインは、両親を法廷で訴える。その罪とは、「自分を産んだ罪」だという。なぜ、少年がこのような訴えを起こしたのか? 彼は中東のスラム街で、両親、兄弟と暮らしていた。虐待する父親、食事も満足に与えない母親、さらに路上で物を売らされるなど労働も強いられた。11歳の妹が彼女の意思に反して、結婚させられたとき、ゼインはその怒りから家を飛び出すが、さらに過酷な現実を目の当たりにすることになる。
監督はレバノン出身で、今最も注目される女性監督のナディーン・ラバキー。主演・監督したデビュー作『キャラメル』(2007年)は日本でもヒットした。本作は彼女の長編4作目にあたる。
昨年のカンヌ国際映画祭で審査員賞を受賞したが、同映画祭で最高賞パルム・ドールを受賞した是枝裕和監督の「万引き家族」とともに、“インビジブル・ピープル”つまり社会から見えない存在、阻害された存在の人々に光を当てた胸を打つ作品として高く評価された。
ドキュメンタリー映画ではないが、この中に描かれている出来事は、3年におよぶリサーチの中で実際に目にした“中東の現実”だという。貧困、不法移民、不法労働などの社会問題の陰で、最も影響を受けるのは子どもたちである。ゼインのように親が出生届を出すという義務を果たさなかったばかりに、存在すら証明されない子どもたちもいる。
一方で、ゼインと移民の女性のように血はつながらなくても肩を寄せ合って生きることもできる。ゼインを演じたゼイン・アル=ラフィーアもシリアの治安悪化を逃れベイルートで暮らしていた難民で、俳優ではない。彼の瞳に宿った哀しみや怒りが胸をつく。見終わった後、心のざわめきを止められない作品である。
木下昌明の映画の部屋 ・加納土監督『沈没家族』
家族のあり方を問う愉快なドキュメンタリー
加納土(つち)監督の『沈没家族』は、家族の新しいあり方を問うた愉快なドキュメンタリー。
この映画は土が学んだ武蔵大学の卒業制作作品で、いくつかの学生映画祭で賞を受け、評判になった作品だ。制作時、土は元NHKプロデューサーで同大教授、永田浩三の指導を受けた。それが劇場版として再編集され、公開される。
主な登場人物は、加納穂子(ほこ)と土の母子。撮影時に母は44歳、土は22歳に成長しているが、20歳そこそこの母と1歳ごろの土も登場する。土の誕生について、映画の中で穂子は写真専門学校に通っていたときに「たまたま発生した」と話している。彼女は土が生まれた頃から彼氏と折り合いが悪く、シングルマザーとして土を育てる決心をする。学校も仕事もある穂子が考えたのは「あなたも子守りをしませんか?」というチラシをまくなどして共同保育人を募集することだった。穂子は二人で生きるのに必死だったが、「みんなで育てれば楽しいじゃないか」の軽いのりに若者がどっと応募してくる。それが1995年のこと。
東京・東中野の彼女のアパートで、交代で子育てが始まる。これがNHKなどに取り上げられ、映画では、穂子が撮った写真ともども、その模様が映されていく。当時、男女共同参画の出現に「日本が沈没する」と嘆いた政治家の言葉を逆手にとって「沈没家族」と名づけ、表札にまで「沈没ハウス」と出す。
その20年後、幼児だった土が、今度はカメラを握って、母と一緒に昔の「沈没家族」や1年後に引っ越した「沈没ハウス」を訪ねていく。当時の保育人たちや〝姉″とも再会して語り合う。
興味深いのは、「隣のおじさん」こと実の父に、三重県にまで会いに行く場面。モヒカン刈りの彼に唖然(あぜん)。そこで海水浴に行ったり言い争ったりする中で、彼の悲哀も伝わってくる。そんなこんなから、是枝裕和監督の『万引き家族』のような、血縁ではないが、みんなの子どもだった土を中心とした、共同体の愉快で前向きな生活史が浮かんでくる。(『サンデー毎日』2019年4月14日号)
大塚玲子さんの最近の記事 8/2
PTAがNPOと違うのはなぜ? 行政・学校と“共依存関係”になる理由
なぜ同じ任意の団体なのに、PTAとNPOはこうも違うのか? 長年、疑問だった。
筆者は仕事等でさまざまなNPOとかかわってきた。NPOでは当然のこと、強制加入や強制動員など、誰も考えない。最初から活動したい人が活動しているので、「強制しないと成り立たない」などという発想は、誰一人もたない。
活動資金の調達はNPOにとっても悩みどころだが、だからといって「行政(学校)がもつ個人情報を使って会員を獲得し、会費も代理徴収してもらおう」などという団体は、あるはずがなかった。
なのになぜPTAでは、そのような行為が当たり前に行われ、且つ許されてきた(黙殺されてきた)のか? PTAのほかにも、子ども会など似たような問題を抱える団体は、いくつか思い当たる。
疑問を抱えていたところ、ある報告書に出会った。『地域共生社会と社会教育関係団体をつなぐ行政の役割 ~団体と行政の共同が生み出す、社会教育のカタチ~(マッセOSAKA平成28・29年度広域研究活動報告書)』。
「社会教育関係団体」とは何かというと、社会教育法第10条で「公の支配に属しない団体で社会教育*に関する事業を行うことを主たる目的とする団体」と定義されており、PTAや子ども会、婦人会、青年団、スポ少などがこれにあたるとされている。
- * 社会教育とは、学校教育・家庭教育以外のものを指す
疑問を解く糸口が見えた。研究活動を中心となって取りまとめた、泉大津市教育委員会事務局の西田章恵さん(同市P連* 担当)に話を聞かせてもらった。
*行政と社会教育関係団体は相互に依存している
――この報告書は大阪府内の自治体(池田市・泉大津市・貝塚市・守口市・阪南市)で社会教育行政に携わる職員有志の方たちで作られたそうですが、なぜこのような研究を始めたのですか?
各自治体で社会教育行政に携わる職員たちは皆、同じような課題を抱えていました。一言でいうと「行政と社会教育関係団体が、お互いに自立した関係を十分に築けていない」こと、つまり依存し合っている部分があるということです。
PTAを例に挙げると、たとえばP連の事務局は行政のなか(教育委員会事務局)に置かれていることが多く、また事務仕事をすべて行政職員が担っていることもあります。べつにPTA側の依頼でそうしているわけではないのですが、昔からそうしている。(※1)
逆にPTAの側からすると、行政から「研修会をやるので来てください」と動員をかけられたり、市の主催する会議に充て職で入れられたりして内心困っているのに、断れずにいることなどがあります。
――全国的にある程度共通する課題ではないでしょうか。教育委員会に運営を大きく依存したP連を見かけるたび、疑問を感じてきました。相互依存的な関係なので、互いにやめたいことがあっても、言い出せないのですね。
基本的に社会教育関係団体の活動は、自主的・自発的なものであるはずです(※2)。しかし実際には、そうは言い難いケースがよく見られます。
*社会教育関係団体の歴史的経緯
――なぜ共依存関係になるのか、報告書の「社会教育関係団体と行政の関わりの歴史」を読んで腑に落ちました。つまり昔から存在する、住民と行政の間にある地縁団体(子ども会、婦人会や、GHQの指導のもと各地に設置されていったPTAや文化協会等)を「社会教育関係団体」として位置付け、これらの団体が行政の社会教育を代行する代わりに、行政が団体の仕事を肩代わりするようになったから、ということですね。
結局はそういうところがあります。ただ、そういった地縁団体も、核家族化や共働き家庭の増加など社会の変化が進むなか、だんだん時代に合わなくなってきています。
背景には、人々の活動の場が昔と比べて広がっていることもあるでしょう。昔の娯楽は、餅つき大会など地元でやるものが多かったと思いますが、いまはインターネットなどもあり、たとえば「バンドをやりたい」と思ったらネットで仲間を探し、市外に出て活動することも簡単にできます。世界が各段に広がっている。
いまは地縁型ではない「テーマ型の活動団体」が増えています。かつてのように、「婦人なら婦人会へ入れ」「青年は青年団へ入れ」というのではなく、「私は編み物が好きやから、編み物サークルに入ります」とか「環境系のことに関心があるので、ゴミの削減に取り組むボランティアサークルに入ります」といったように、個々人の好みで活動するというほうにシフトしている。
そんなふうに中身が変わってきているのに、かつての歴史的な経緯から、行政と社会教育関係団体の相互依存関係が変わらずに残ってしまっているので、弊害が出てきているのではないかと感じます。
――報告書によると、府内の約8割の自治体で、社会教育関係団体に対する施設使用料の減免や補助金支出などの支援があったそうですね。しかしNPOなど新しい社会教育の担い手には支援が少ないので、整合性がないという指摘もありました。確かにそう思います。
今はやはり、テーマ型でつながるNPOなどの団体は活発で、いわゆる地縁団体、社会教育関係団体はどちらかというと縮小傾向です。そういったなか、行政は社会教育関係団体とばかり関わりを深めるのでなく、新たな社会教育を担う活動団体とも、もっと連携していく必要があるのではないでしょうか。
*「社会教育関係団体」という枠組みをやめる自治体も
――横浜市(神奈川県)や阿智村(長野県)など、「社会教育関係団体」という枠組みをやめた事例も紹介されていますね。正しい方向のように思いました。
横浜は都市部で人口が多いので、やる気のある人が自分でどんどん活動できるよう制度を整理したことで、効率がよくなったのではという印象です。阿智村は逆に人口が少なく、市民をじっくり育てる・支援する制度が有効なのだと思います。担当の方が「そこにあるヒトとモノでなんとかするしかない」「やる気のない人には支援しない、やる気のある人は全力でサポートする」と話されていたのが印象的でした。
――ただし横浜では、PTAだけは「社会教育関係団体」として残っています。PTA問題の根深さを感じますが、なぜ残ったんでしょう?
これは私の主観ですが、婦人会や青年団などと比べると、PTAは「保護者がそこにまとまっていてくれる」という点で行政にとってのメリットが大きいのではないかと思います。
多くの自治体ではP連の事務局が行政(役所)のなかにありますが、これもたとえば、教育委員会が保護者に「こういう方針でやっていきたい」などと話を通さないといけないとき、各PTA会長さんと情報共有しやすいからでは。普段からコミュニケーションがとれていれば、教育委員会とPTAが正面衝突するといったことも起きにくくなると考えられます。
*P連のあり方ももっと自由でいいのでは
――P連の担当をされてきて、問題を感じる点はありますか?
そもそもP(保護者)とT(先生)が最初から一緒になっている点が、保護者にとってしんどくないのかな、と思うことがあります。まずはPの会があってもいいのでは。
もし自然発生的にできた団体なら、まず「保護者だけで何か話したいよね」ということでPが集まり、次に「やっぱり学校のことだから、先生がたとも協議する場がいるよね」といって、PTAができるのが自然と思うのですが。行政が主導し全国に広めたので、ちょっと不自然なところを感じます。
――なるほど、そうですね。先生たちは毎日顔を合わせて話をしていますが、保護者同士は意見を共有・議論する場がありません。たまにPTAの会議で保護者同士が意見を戦わせているとき、先生たちは遠い目をして佇んでいます。それから、よくP連の活動が単P(各PTA)の負担になっているという声を聞きますが、これについてはどう思われますか?
そもそもP連は単Pを支援するためのものですから、単Pの負担になるというのは本末転倒だと思います。
P連のあり方も、本当はもっといろんな形があるのではないかと思います。現状、これまでの歴史に引きずられているところが大きいですが、もっとやりやすい方法を探っていいのでは。たとえば、団体にしないで「協議の場」だけでもいいのではないかな、といったことも思います。
――賛成です。PTAもP連も、いまある形を前提に考えるのでなく、ゼロから必要なものを考えられるといいですね。今日はお話を、ありがとうございました。
弁護士鈴木愛子さんのブログより
学童保育はなぜ足りないの?-放課後のおうちを作って!新制度下の学童保育-
弁護士 鈴木愛子
2016-03-18 11:28:05
テーマ:学童
平成27年度にスタートした、子ども子育て支援新制度(以下「新制度」といいます。)。
この新制度は、学童保育にも、大きな影響を与えています。
学童保育の歴史と現状についても触れながら、新制度が学童保育に与える影響をお話ししてみます。
共働きや1人親家庭の小学生が、放課後や土曜日、長期休みに「生活する」「第二のおうち」である学童保育。
法律上の位置づけは、「放課後児童健全育成事業」という、児童福祉法に基づく第2種社会福祉事業になります。
第2種社会福祉事業なのか、じゃあ、自治体とか、社会福祉法人が運営しているのかな、と思われる方が多いのではないでしょうか。
結論としては、自治体や社会福祉法人「も」運営している、です。
市町村が直営している公立公営は4割弱の37.1パーセント。
行政からの委託により保護者による任意団体である父母会や保護者会が直接運営している形態もありますし(5.8%)、地域運営委員会方式と呼ばれる形態(こちらは16.9パーセント。地域の役職者と学童保育の父母の代表で構成される任意団体の組織です。実際の運営は父母会が行っているパターンも、実際の運営も運営委員会が行っているパターンもあります。)。
また、法人が運営主体となっている場合もあります(28.7パーセント)。この法人の中には、私立保育園や私立保育園以外の社会福祉法人等もありますが、父母により設立されたNPO法人が運営している形態もあります。
なお、父母会・保護者会といった保護者による任意団体や、父母によるNPO法人が学童保育を運営する、というのは。場所の確保、指導員の求人・雇用、助成金の申請、児童の入退所の管理といった文字通りの「経営」を、仕事も育児もある親集団が行う、という意味です。
そして、このような運営主体のばらつきは、市町村ごとの差であり、同じ都道府県の中でも、自治体によりかなりの差があります。
例えば、愛知県では、名古屋市には公営の学童保育はありませんが、豊田市、豊橋市、岡崎市等では、学童保育の多くが公営です(多くが、と書いたのは、これらの自治体の中でも、公営以外の学童保育もあるからです。)。
なぜ、これほどまでに自治体毎に差があるのでしょうか。
実は、学童保育というのは、法制化されてからの歴史が浅い。
児童福祉法に基づく事業として法制化されたのは、1997年になってからのこと。 平成になってからの話です(学童保育自体は法制化よりずっと以前の、昭和の時代から存在します。全国学童保育連絡協議会の結成は1967年です。)。
就労と、子どもが安全・安心して子ども集団の中でのびのびと発達できる環境を用意すること。その両立を諦めなかった親たちによる自助共助、学童保育の充実を求める様々な運動が先にあり、法律があとからついてきたのが学童保育の歴史です。
そして、新制度になってはじめて、児童1人当たりの専用区画についての面積基準(おおむね1.65平米以上)、「支援の単位」あたりの児童数の基準(おおむね40人以下)指導員の資格と配置基準(開所時間を通して常時2人を配置、そのうち1人は放課後児童支援員の有資格者であることが必要)、といった、学童保育に関する基準が施行されました(放課後児童健全育成事業の設備及び運営に関する基準・厚生労働省令)。
また、学童保育の対象児童が、従来のおおむね10歳未満の児童から小学校に就学している児童に変わったことも注目すべき変化です(2012年8月児童福祉法改正、2015年4月施行)。
従前は、学童保育の対象児童はおおむね10歳未満という規定であったために、三年生までしか受け入れていない学童保育が多くありました。四年生になってからの放課後や長期休みをどう過ごさせるか?という問題を意味する、「四年生の壁」との言葉が出来たゆえんです(全国学童保育連絡協議会による2007年調査では、3年生までしか学童保育に入所できない自治体は46.8%。2012年調査では34.8%となっています。)。
学童保育について、法制化され、最低限の基準ができること。そのこと自体は質の確保のために必要だと思います。
ただ、基準の実現には当然、「新制度の基準を満たす学童保育を、学童保育を必要とする児童が待機児童とならずにすむ数を作ることができるだけの、予算的・制度的な措置」が必要です。
今年度、学童保育の入所児童数は、はじめて100万人を超えました。先に述べたとおり、学童保育の対象児童が、小学校に就学している全ての児童になったことで、四年生の増加が特に顕著な状況です。
その一方で、学童保育の基礎的な単位(支援の単位)がおおむね40人以下ともされるようになりました。
学童保育の児童数が大規模になりすぎると、家庭的で安定した保育が難しくなる、子どもが相互に関係性を構築したり、1つの集団としてまとまりを持って共に生活したり、指導員が個々の子どもと信頼関係を築いたりできる規模としては、おおむね40人以下の規模が適切だろう、という趣旨になります(46人以上の大規模な学童保育の割合は減って来てはいますが、2015年調査でも、3割近く存在します。)。
要は、学童保育の対象となる児童の範囲は大幅に増えた一方。
一つ一つの学童保育の規模が大規模化するのはダメ。保育を行うユニット毎の児童数を、あまり多くし過ぎず、適正な規模にしましょうね、ということになりました。
ですから当然、学童保育の施設数は従来より相当数、増やさなければなりません。
おおむね40人以下の基準を大幅に超えている学童保育は、分割して新しい学童を作らないといけない。
また、児童数としては分割の必要はなかったとしても、新制度の面積基準を満たしていない学童であれば、面積基準を満たせるだけの、より広い場所に移転しなければならない。
けれど当然、そんなに急には、学童保育を増やしたり、移転したりすることはできません。
そのため、条例で経過措置を設けたりして、新制度の基準を満たした学童保育の施設を増やすことを先送りしている自治体も多いのです。
そして。
先にも述べたように、 自治体が学童保育を公営しているのは4割弱。保護者による任意団体が、直接、あるいは実質的に学童保育を運営している場合も少なくありません。
保護者団体が、新しく学童保育を作る場合。
近隣の方々に、その場所に学童保育が出来ることについてご理解を頂くのも、土地や建物の賃貸借契約を締結するのも、保育が可能な場所にするための備品の手配(ロッカー等)も親が行います。「開所時間を通して常時2人、内1人は有資格者」との配置基準を満たせるだけの指導員の確保も親が行わなければなりません。これらの諸々を親が行い、各種申請書類を準備してはじめて学童保育が作れます。
上記の内容を見ればお分かりの通り、「仕事があり、育児もあり、数年単位で人も入れ替わっていく親集団」が本業と育児を行いつつ、無償で、上記のような活動を行うのは本当に難事業です。 場合によっては、その地域における学童保育がなくなり兼ねないほどの難事業。
新制度になるまでにも、学童保育を利用する児童が増えて施設が手狭になる、様々な事情で退去を求められた、といった問題で学童保育の分割や移転という問題が生じることはもちろん、個々にありました。
けれど、新制度が出来て、学童保育が「満たさなければならない」基準ができた上での分割や移転、というのはまた意味合いが違います。現に、現段階では満たされていない学童保育が多数あり(だからこそ経過措置が設けられている自治体も多い)、経過措置が切れるまでに、どうにかしなければならない(どうにかならなければ、潜在的な待機児童も含め、学童の待機児童が多数発生することが予測されます。)。
そして、親が直接ないし実質的に運営する学童保育では、この難事業を親が動いてどうにかしなければならない訳です。
保育園に子どもを預けてフルタイムで働いてきた親にとって、「親の勤務時間+通勤時間」の分だけ子どもを安心して預けることが出来る学童保育は、保育園時代と同じ働き方を継続するために必須のインフラです。
子ども達は、学童でおやつを食べ、宿題をし、指導員や仲間の子ども達と様々な遊びをします。長期休みには食事の提供があり、年間を通じて、子ども達の成長を考えて用意された行事もあります。そんな継続的な保育を受けられる学童保育が、地域に存続し続けてくれるかどうかは、共働きや一人親家庭にとって、死活問題。
もちろん、毎日の長い時間を、同じ顔ぶれの子ども達の中で、指導員に継続的に関わってもらいながら育ってきた学童保育の子ども達にとっても、学童保育が地域に存続し続けられるかというのは、とてもとても、大きな問題です。
新制度になってから、学童保育に対する国庫補助総額は、前年比では劇的に増えてはいますが(2014年332億2300万円→2015年575億円)、学童保育が増える分だけ、より多く必要となる指導員の確保とその待遇改善を考えると、更なる増額が必要です(指導員の待遇問題に関しては、また改めて別に書いてみたいと思っています。)。
また、学童保育の数を増やすために一番大事なのはもちろん資金面ですが、騒音や送迎の混雑等で、近隣の方々の反対があるとなかなか増やせないのは保育園と同じです。
歴史的な経緯もあり、運営主体も運営方法も全国各地でバラバラ。運営主体・運営方法のそれぞれにメリットもデメリットもある中で、学童保育の制度全体としてはどんな仕組みを目指していけばいいのかは、かなり、難しい問題です。
ただ、現に保育を受けている、日々成長する子ども達、現に働いている指導員、長年、地域にその学童保育があったことによって築かれた既存のコミュニティ(特に、親運営の学童保育が作り上げる地域とのコミュニティは、地域社会の無縁化が叫ばれる現代において、極めて貴重なものであると考えています。)。
その現にある学童保育の保育の継続性、指導員の雇用の安定性は守られなければならないと、学童保育を利用する親の一人として切に願っています。
まずは、既存の学童保育が新制度への移行をできるだけスムーズに乗り切り、既存のコミュニティを守ったその上で、学童保育に関する諸制度をより良くしていかなければならない、と思っています。
保育園の待機児童問題が注目されているこの時期だからこそ。
保育園の次の、学童保育について、新制度との関係をまとめておきたいと思い、こんなブログを書いてみた次第です。
※当ブログの見解は、筆者の弁護士&学童を利用する一父母としての見解であり、所属する学童を代表する見解ではありません。
[参考文献]
学童保育情報 2015-2016(全国学童保育連絡協議会)
あいちの学童保育情報ハンドブック(愛知学童保育連絡協議会)
学童保育と子どもの放課後(増山均)
「学童保育」が心配 “暑さ”や“人手不足”、規制緩和による“安全対策”②
共働きなどの世帯が増え、子どもたちの居場所として欠かせなくなっている学童保育は、全国的に年々増加。
昨年度、利用した児童数は121万人と10年で1.5倍に増え、施設の受け入れ態勢が追いついていないのが現状です。
さらに、こんな問題も。
「今の課題は指導員不足が一番大きいですね。(愛知県だけで)300~400人は、少なくとも足りていないですね。(時給が低い所は)900円に届くか届かないか、安いですよ」(愛知県学童保育連絡協議会 賀屋哲男 事務局長)
指導員は、保育士や教員免許を持っているなどの基準がありますが、働く条件が整っていないため、なり手が少ないのです。
その課題を夏休み期間だけでも解消しようとしているのが、愛知県豊川市です。
複合商業施設「プリオ」の中にある、手作り感のある看板が目印の学童保育は、今年初めて“夏休み期間限定”で開所しました。
指導員不足を解消するための対策も。
「(普段は)子育て支援センターに勤めています」(指導員 小久保伸子さん)
名札には「子育て支援センター」と書かれていますが、実は指導員は、他の学童保育や保育園で働いた経験がある人たちなんです。
働く保護者たちの声を受け、市が指導員のなり手を探し、どうにか開所にこぎつけたといいます。
「(保護者からは)夏休みだけでも預かってもらえるところがあって、うれしいですとお言葉をいただいて、こちらも喜んでいます」(指導員 小久保伸子さん)
対策が進められていく一方で、子ども達の安全を脅かす懸念も。それは、今年5月、児童福祉法の法改正で規制が緩和されたことです。
「今までは、指導員を“2人以上”配置しなければならないと国が位置づけていたんですが、できれば守ってほしいけど、“守らなくてもいいよ”と(緩和されることになった)。小学生はまだ落ち着きがない時期ですので、ひとりで見るのは、ほぼ不可能に近い。けががあった場合に、ひとりだと対応しようがない」(愛知県学童保育連絡協議会 賀屋哲男 事務局長)
指導員の配置や基準について規制緩和されることになり、子どもたちの安全が守られるのか心配だと指摘します。
始まったばかりの夏休み。子どもたちの過ごしやすい居場所の確保が求められています。
中京テレビNEWS